2005年9月8日をもって
当店は閉店いたしました。

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中国シルクロードの穴場的見どころや人々のくらしなどについて書いていきたいと思います。のんびりと更新していきたいと思いますのでときどきのぞいてくれると嬉しいです。



Vol.001 故郷の長城

第一回めですので、まずはわたしの故郷を紹介いたします。

わたしの家は甘粛省臨沢県にあります。臨沢県は聞き慣れない地名だと思いますが、河西回廊のちょうど真ん中あたり、マルコポーロが滞在したかつての甘州・張掖市の北に接しており、県城は県名のとおり臨沢という町です。

なぜ臨沢が日本人になじみが薄いかというと、臨沢が対外未開放地区であるということがあげられるでしょう。未開放地区は許可なしに外国人は旅行することができません。公安にみつかったら罰金をとられますから注意してください。といっても臨沢県はこれといった観光資源もない農業地帯ですので、外国人がわざわざ訪れることもないと思います。

臨沢県を貫くように流れているのが「黒河」です。黒河は祁連山脈の雪解け水から流れ出て、河西回廊を横断し、最後は西夏王国の要衝だった内蒙古の黒水城(エチナ)に至って砂漠に消えていくのです。わたしの生まれ育った村はこの黒河のほとりにあります。この黒河のおかげで臨沢の農地は比較的豊かであり、とくにナツメは名産品として有名です。

わたしの村や家のことはいずれご紹介するつもりですが、じつはわたしの村の近くにはあの万里の長城が残っているのです。

わたしの村は南に黒河が流れ、そこからは平野が続きますが、村の北は草木もはえてない黄土の禿げ山が連なっています。この荒涼とした風景の中をトラクターで20分ほど行くと写真のような万里の長城があります。ご存知のように万里の長城はいろいろな時代に築かれましたが、河西回廊を車で走ったとき、張掖の手前の山丹あたりから道路と平行してあらわれる朽ち果てた長城は明代のもので、わたしの村近くの長城はその延長上のものです。ここから長城はすこし北上して、内蒙古自治区と甘粛省の境界線の南側をかすめるようにはしり、終点(起点)である嘉峪関に至ります。

わたしの村近くの明の長城はご覧のように荒廃してはいますが、烽火台なども残っています。甘粛省ではあたりまえの風景ですので、ふだん訪れる人などはいませんが、北京の八達嶺長城だけをみたことがある人にとっては、こういう長城の姿もまた別の趣があっていいのではないでしょうか。

つまりわたしの故郷は長城の内側ぎりぎりにあるのです。また、ちょうどわたしの故郷あたりが唐の時代に勢いのあった吐蕃王国の領域の北限にあたります。

わたしが生まれたところ、そこはかつて南北に異民族が迫り、東西を西域の人が往来する、シルクロードのめぬき通りといえるような地だったのです。